レテス通り南端の三叉路にある「勝利の女神ニケ のレリーフ」。
なお、スポーツ用品の米ブランドのナイキはニケ(NIKE)に由来しているのだそうです。
「ヘラクレスの門」。
ニケのレリーフは、もともとこの門のアーチ部分に飾られていたのですが、落下したので別の場所に置かれているそうです。
エフェソスのメインストリート 「クレテス通り」。
通りの左が邸宅跡、、右がトラヤヌスの泉、浴場跡。
「トラヤヌスの泉」。
102年~104年に建立され、皇帝トラヤヌスに捧げられた泉です。当時は正面にため池があり、そこに備えられたトラヤヌス帝の足元から水が流れていたそうです。
邸宅跡と入口前のモザイク
「ハドリアヌス神殿」。
紀元128年にアテネから皇帝ハドリアヌスがエフェソスを訪れたのを記念して紀元138年に建造されています。
クレテス通りにある建物の中で最も保存状態が良くて美しい建物だそうです。
手前のアーチ上部には運命の女神ティケの肖像、そして後ろの門の上部にはメデユーサのレリーフが彫られていました。
公衆トイレ跡。
ローマ人は2000年前から水洗トイレを使っていたなんて驚きです。
「ケルスス図書館」。
紀元125年に建造され、ケルスス(エフェソスを含めたローマ帝国アジアの統治者)の墓所も兼ねた建物です。
図書館には12000巻ものパピルス図書が保存されていたそうです。
その規模から、アレクサンドリア(エジプト)、ペルガモン(トルコ)と並ぶ、古代の世界三大図書館とされています。
マーブル通りの路上にある娼館への案内図。
図書館の向かいに娼館があり、なんと図書館から娼館につながる地下道もあったとか^^
「大劇場」。
紀元前3世紀建設、ローマ時代に増築されました。
何と24,000人が収容できたそうです。
離れた所から全体を観ると、さらにその大きさに驚かされます。
ハーバーストリート。
かつては、円形大劇場から港に通じる通りで、あのエジプト女王・クレオパトラもここを歩いたそうです。
また、2000年前は海岸線がもっと近くにあったそうです。
時の流れを感じますね。
2000年前の人々はここで高度な都市生活を送っていたのがよく分かりました。
北出入口から遺跡を出ました。
遺跡内は広大でかなりの距離を歩きましたが、見所が多くスローペースで歩いて行ったので、そんなに疲れは感じませんでした。
2019年06月30日
2019年06月29日
魅惑の国トルコへ5~エフェッソス遺跡①~
イズミール空港からツアーバスでおよそ1時間30分、エーゲ海最大の遺跡群が眠る古代都市エフェッソスへ到着。
エフェソスは紀元前2世紀にローマの支配下に入り、ここで見られる建造物の多くは、ローマ帝国が“パックス・ロマーナ”と呼ばれる黄金期を迎えた紀元1~2世紀ごろのものなのだそうです。
2015年に世界遺産に登録されました。
遺跡の南の出入り口から入り、広大な遺跡内を見学しながら、北の出入り口へと抜けていきました。
南口から入ってすぐの所にあるのは、「ヴァリウス浴場」。
紀元前2世紀ころの建築で、現在のスパのような施設が整っていたらしいです。
当時、温度の異なる3つの浴室や、マッサージ室、図書室、サロン、トイレなどを完備していたというから驚きです。
東洋人の観光客の姿が目立ちます。右奥は韓国の団体ツアー。
手前の柱建っているところは、「市公会堂」。そして、奥は「オデオン音楽堂」。
この音楽堂では、1400人が収容できたそうです。
この階段を、2000年前の人々が上り下りしたのですね。
ここが出入り口だったところでしょうか?
発掘された遺物があちこちに置かれています。
これから修復されるのでしょうね。
上の短い管は水道管として、このように使われていました。
建物はほとんど残っていませんが、柱だけはあちこちに残っていました。
こちらは、レリーフが比較的きれいに残っていました。
「ポリオの泉」。
現在は水も池もありませんが、エフェス遺跡の一番高いところにあり、無料でエフェソスの人達に配られていたそうです。
「ドミティアヌス神殿」。
残っているのは大理石柱だけで神殿の形はありませんでした。
この神殿は皇帝の名を付けて作られた最初の神殿だったそうです。
遺跡内は広大で見所も多いので、2回に分けて掲載することにします。
エフェソスは紀元前2世紀にローマの支配下に入り、ここで見られる建造物の多くは、ローマ帝国が“パックス・ロマーナ”と呼ばれる黄金期を迎えた紀元1~2世紀ごろのものなのだそうです。
2015年に世界遺産に登録されました。
遺跡の南の出入り口から入り、広大な遺跡内を見学しながら、北の出入り口へと抜けていきました。
南口から入ってすぐの所にあるのは、「ヴァリウス浴場」。
紀元前2世紀ころの建築で、現在のスパのような施設が整っていたらしいです。
当時、温度の異なる3つの浴室や、マッサージ室、図書室、サロン、トイレなどを完備していたというから驚きです。
東洋人の観光客の姿が目立ちます。右奥は韓国の団体ツアー。
手前の柱建っているところは、「市公会堂」。そして、奥は「オデオン音楽堂」。
この音楽堂では、1400人が収容できたそうです。
この階段を、2000年前の人々が上り下りしたのですね。
ここが出入り口だったところでしょうか?
発掘された遺物があちこちに置かれています。
これから修復されるのでしょうね。
上の短い管は水道管として、このように使われていました。
建物はほとんど残っていませんが、柱だけはあちこちに残っていました。
こちらは、レリーフが比較的きれいに残っていました。
「ポリオの泉」。
現在は水も池もありませんが、エフェス遺跡の一番高いところにあり、無料でエフェソスの人達に配られていたそうです。
「ドミティアヌス神殿」。
残っているのは大理石柱だけで神殿の形はありませんでした。
この神殿は皇帝の名を付けて作られた最初の神殿だったそうです。
遺跡内は広大で見所も多いので、2回に分けて掲載することにします。
2019年06月28日
魅惑の国トルコへ4~イズミールへ~
<6月15日(土)3日目>
3日目にしてようやくトルコ観光.
しかし、イスタンブール観光はまた後日ということで、早朝から空港に向けてホテルを出発しました。
4:45・・・モーニングコール
5:15・・・荷物回収
5:45・・・ホテル出発
ツアーバスの中でBOXタイプの朝食をいただきながら、約45分でイスタンブール新空港へ到着。
前稿でも書いたように、この新空港は今年の5月に開港したばかりですが、まだ5分の1しか出来上がっていないそうです。
全施設が完成すると6本の滑走路が設けられ、年間2億人が利用できて、世界最大の国際空港となる予定なんだとか!
国内便でトルコ第3の都市、イズミールへ向かいます。
機材は、1985年のイラク戦争でテヘランに取り残された日本人を救出 してくれたトルコ航空です。
8時、イスタンブール新空港発。
離陸後、間もなくして軽食がでました。
9時15分、イズミール空港着。
イズミールは、人口約400万人(2012年時点)で、イスタンブールやアンカラに次ぐトルコ第3の都市。
また、エーゲ海に面するトルコ西部の都市で、その美しさが「エーゲ海の真珠」と古来称えられる港町なんだそうです。
街中でも、あちこちで城壁などの遺跡が観られます。
付近にはエフェソス、ベルガマ(ペルガモン)などの古代遺跡があります。
これからの観光が楽しみです。
3日目にしてようやくトルコ観光.
しかし、イスタンブール観光はまた後日ということで、早朝から空港に向けてホテルを出発しました。
4:45・・・モーニングコール
5:15・・・荷物回収
5:45・・・ホテル出発
ツアーバスの中でBOXタイプの朝食をいただきながら、約45分でイスタンブール新空港へ到着。
前稿でも書いたように、この新空港は今年の5月に開港したばかりですが、まだ5分の1しか出来上がっていないそうです。
全施設が完成すると6本の滑走路が設けられ、年間2億人が利用できて、世界最大の国際空港となる予定なんだとか!
国内便でトルコ第3の都市、イズミールへ向かいます。
機材は、1985年のイラク戦争でテヘランに取り残された日本人を救出 してくれたトルコ航空です。
8時、イスタンブール新空港発。
離陸後、間もなくして軽食がでました。
9時15分、イズミール空港着。
イズミールは、人口約400万人(2012年時点)で、イスタンブールやアンカラに次ぐトルコ第3の都市。
また、エーゲ海に面するトルコ西部の都市で、その美しさが「エーゲ海の真珠」と古来称えられる港町なんだそうです。
街中でも、あちこちで城壁などの遺跡が観られます。
付近にはエフェソス、ベルガマ(ペルガモン)などの古代遺跡があります。
これからの観光が楽しみです。