2021年11月30日

秋の北関東旅行㉔~帰路・旅を終えて~

富岡製糸場の前の通りにはお土産屋さんや食事処が軒を連ねていました。
我々は散策はせずに、製糸場のまえのうどん屋で昼食をとることにしました。
私は、群馬県の郷土料理「おっきりこみうどん」とやらをいただくことにしました。
これは、手打ちの太麺と季節の野菜や里芋、大根などをたっぷりの汁で煮込んだ料理でボリューム満点でした。
私はうどんより蕎麦の方が好きなのですが、やっぱり旅先の名物料理を食べなくっちゃね^^
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かみさんは、出し汁にたっぷりとお揚げの入った蕎麦(名前は忘れました)を注文していました。
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この後、日本100名道の「妙義山道路」走って長野駅に向かう予定だったのですが、帰りに電車に間に合わなかったら大変なので、そのまま長野駅に向かうことにしました。

16:00前 長野駅前でレンタカーを返却。
電車の出発時間までにお土産と弁当駅弁を購入。

17:00長野駅発「しなの22号」にて帰路の途へ。
名古屋駅到着前に、長野駅で購入した駅弁をいただきました
私は鱒寿し。
あれ?鱒寿しは長野ではなくて富山名物でしたか・・・
駅弁のパッケージを見て、気が付きました^^;
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かみさんのはこちら・・・
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ピンボケでした><;
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自宅へ帰ってきたのは23時過ぎ・・・疲れました😫

◆旅を終えて◆
4日間群馬県と栃木県を旅し、世界遺産2か所(「日光の社寺」「富岡製糸と絹産業遺産群」)、日本100名城3か所(「足利氏館」「金山城」「箕輪城」)、華厳の滝など数か所の観光名所を訪れました。
また、1か所の日本100名道(「万座ハイウェー」)を走破し、2か所の温泉(「草津温泉」「鬼怒川温泉」)で宿泊しました。
なかなか充実した4日間でしたが、片道6時間の鉄道旅はちょいと長かったです。
神戸空港から飛行機を使うことが出来れば、もう少し余裕のある旅が出来たと思います。
いつもの旅行では、宿泊ホテルにはあまりこだわらない方なのですが、今回の1泊目の「ホテル一井」(草津温泉)と2泊目の「鬼怒川金谷ホテル」(鬼怒川温泉)は顧客へのサービスも行き届いており、とても快適に過ごすことが出来ました。
次回の旅行でも、1泊か2泊はちょいとだけ高級ホテルに泊まっても良いかななんて思っています。
ようやくコロナも下火になってきました。
このまま収束してくれればよいのですが・・・・
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2021年11月28日

秋の北関東旅行㉓~富岡製糸場~

この旅行最後の目的地は、世界遺産に選定されている「富岡製糸場」。
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富岡製糸場は、1872年(明治5年)に群馬県富岡に設立された日本初の本格的な機械製糸の工場です。
日本の近代化だけでなく、絹産業の技術革新・交流などにも大きく貢献した工場であり、敷地を含む全体が国の史跡に、初期の建造物群が国宝および重要文化財に指定されています。
また、「富岡製糸場と絹産業遺産群」の構成資産として、2014年6月21日の第38回世界遺産委員会(ドーハ)で正式登録されました。
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敷地内には開業当時の繰糸所、繭倉庫などが現存しています。
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案内表示板の順路に従って見学します。
<東繭倉庫(東置繭所)>
なんとこの建物は国宝!
主に2階部分が繭置き場に使われていました。
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たくさんの窓がありますが、大量に保存する繭にカビなどが生えないよう、風通しを最大限によくするための設計になっているんだそうです。
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一階部分は、富岡製糸場の変遷や製糸の過程などがパネルなどで詳しく説明されているスペースになっています。
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明治時代の繰糸場の様子(パネル)
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富岡製糸場設立についてのVTRが放映されていました。
設立に中心的にかかわったポール・ブリューナというフランス人技術者の視線で、設立の様子が描かれていました。
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<検査人館>
ブリューナがフランスから連れてきた男性技術指導者たちの宿舎として建てられたものだそうです。
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<女工館>
こちらは、ブリューナがフランスから連れてきた教婦(女性技術指導者)たちのために建てられたもの。
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<繰糸所>
こちらも国宝!
操業当初はフランス式の繰糸器300釜が設置され、世界最大規模を誇りました。
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<首長館>
フランス人指導者ポール・ブリュナが契約満期まで家族と暮らしました。
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<寄宿舎>
木造2階建ての女子寄宿舎で「浅間寮(右)」と「妙義寮(左)」の2槽の宿舎が建っています。
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「富岡製糸場」といえば、歴史の教科書の「明治維新の官営工場」あたりでちょろっと出てきた程度でしたが、ここでは歴史や昔の技術など詳しく知ることが出来、思っていた以上に楽しむことができました。
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2021年11月26日

秋の北関東旅行㉒~16箕輪城~

<10月27日(水) 4日目>
朝食のビュッフェは、夕べの居酒屋が会場でした。
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ホテルをチェックアウトして、群馬県高崎市にある箕輪城へ向かいました。
箕輪城は、浜川地域(高崎市)を中心に活動していた長野氏によって、1500年頃に築城されました。
長野氏は、箕輪城が武田氏の手に落ちるまでの60余年にわたり城を守り抜き、とくに3代目の長野業政は領民のために尽くし善政を敷いた名城主として語り継がれているそうです。

「100名城スタンプ」は、高崎市役所内にある箕郷支所と箕輪公民館の2か所にあるということでしたので、とりあえず高崎市役所へ行ってみることにしました。(カーナビが設定しやすかったので・・・)
高崎市役所庁舎はとても立派でした。
我が町明石市の庁舎とどえらい違いです。(写真はWikipediaより)
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職員の方に「明石からきました。」と言うと、えらく感動され、ものすごく丁寧に対応していただきました。
ここで「日本100名城 16箕輪城」スタンプをGET!!
69城目。
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ただし、箕輪城跡は市役所からかなり離れた場所にあるそうで、スタンプは箕輪公民館でいただく方が手っ取り速かったようです。

カーナビを設定し直して、箕輪城跡へ。
搦手門近くに整備された駐車場にクルマを停め、徒歩で本丸を目指します。
搦手口は、長野氏から北条氏統治時代の大手口、すなわち城の表口だったとのことです。
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ほどなく二の丸跡に到着。
縦横約80メートルの規模の曲輪で、出撃の拠点だったといわれています。
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<本丸門馬出し>
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<本丸跡>
南北約100メートル、東西約70メートルの規模を持つ曲輪です。
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<大堀切>
主郭部を囲むように巨大な空堀が周囲を巡っています。
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<郭馬出>
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2016年に復元された郭馬出西虎口門。
この門は、井伊直政時代の櫓門になります。
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三の丸方面へのルートもあったのですが、三の丸へは行かずに、木俣から搦手口へ戻ってきました。
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箕輪城は、榛名山の東南麓に広がる標高270mの独立丘陵に築かれた面積47ヘクタールという関東屈指の大規模な平山城なのだそうです。
広いとは言え、起伏が少ないので、山城の金山城に比べてずいぶん楽でした。
posted by OZMA at 06:55| Comment(2) | TrackBack(0) | 未分類 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする