掛川駅から掛川城までは徒歩10分程なのだそうですが、体力温存?と時間節約のためタクシーで行くことにしました。
タクシーを降りると四つ足門前に到着。
城の玄関口の大手門は、ここから少し離れたところにあるので、見られませんでした。
門の後ろに見えるのは、太鼓櫓。

門の右側に天守が見えます。

四足門は現在の掛川城公園のメインの入口となっていますが、案内表示によると、現地調査ではここに門の跡は見つけられなかったとあります。


四足門、続いて本丸門を入ると、本丸。
本丸広場は、公園の花壇になっています。

振り返ると、太鼓櫓が見えます。
1854年(嘉永7年)の大地震以後に建てられた櫓で、何度かの移転の末、1955年(昭和30年)に三の丸から現在の位置に改築の上、移築されました。
なお、当時使われた大太鼓は二の丸御殿の広間に展示されています。

天守までは、ちょいと階段を登らなくてはなりません。
旅は始まったばかりなので、頑張って天守を目指そうと思います。


「冠木門」が建つ場所が「天守下門」跡。

やっと天守丸に到着。
戦国時代には東海道を扼する遠江国東部の中心、拠点として掛川はしばしば争奪戦の舞台となり、朝比奈氏によって逆川の北沿岸にある龍頭山に築かれたとされ、現在見られる城郭の構造の基本的な部分は安土桃山時代に同地に入封した山内一豊によるものです。
また、この天守を再建するに際しては、山内一豊が掛川城の天守と同様の姿に建てさせたとされる高知城の天守を参考にしてそれに近い構造としたそうです。

天守丸にある「霧吹き井戸」。
今川氏真が立てこもる「掛川城」を徳川家康が攻めた時、井戸から立ち込めた霧が城を包み家康軍の攻撃から城を守ったという伝説が残っています。

天守内の展示物にはそれぞれ説明がされており、当時の時代を偲ぶことができます。
騎乗の山内一豊と「丸に土佐柏」の家紋ですな。



「武者隠し」

「石落とし」

天守最上階。

東の眼下には「二の丸御殿」の姿が望めます。

久しぶりにお城を訪れ、たくさん写真を撮ってきたので、2回に分けて記事をUPします。
次稿へ続く>>>