1267年に建てられた神学校ですが、主に預言者達の言行録であるハディースを学ぶ神学校として1254年にセルジューク朝の大臣サヒブ・アタ・ファーレッディン・アリによって建てられました。
「インジェミナーレ」とは、細い尖塔という意味ですが、名前の由来になった細い尖塔は1901年に落雷に遭い、土台のみの三分の一の長さになってしまったそうです。

ここは下車観光のみで、建物の中へは入りませんでしたが、入り口の装飾は素晴らしく、近くでじっくりと見たいと思いました。

この後、観光を終え、宿泊ホテルへチェックインしましたが、我々のツアーバスはこの日も次の日も「シルクロード」を走っていたのでした。
ここで、トルコの「シルクロード」のウンチクを少々・・・
古い歴史を持つトルコ内陸部。
カイセリから、アクサライ、コンヤを通って地中海沿岸へと、数百年の時をかけて交易路が形作られていきました。
この交易路は、後の時代になって「シルクロード」と名付けられました。
ツアーガイドのギョクハンさんから「我々のバスは、シルクロードを走っています。」と言われてもピンときません。
というのも、現在は舗装され、一般の道路と同じように見えますから・・
しかし、当時はここをラクダの隊列を組んで通っていたと思うと、何ともノスタルジーを感じます。
ちなみに、写真に納めたこの道は翌日コンヤからカッパドキアに向かう途中でした。


セルジュク朝の最盛期のスルタンの一人であるカイクバート1世は、国内の交易路の整備に力を入れました。
そのカイクバート1世が寄進した隊商宿(キャラバンサライ)の一つがコンヤとアクサライの間にあるスルタンハヌです。
1229年に建設され、その後火災に見舞われましたが、地域の支配者ハサンによって1278年に復元拡張され、トルコ最大規模の隊商宿なのだそうです。
残念ながら、修復工事中だったので車窓からチラッと見ただけでした。

このような隊商宿は、約30kmの間隔で建てられいたそうです。
というのは、残荷を積んだラクダやロバの隊列が一日に移動できる距離が30Kmだったからなのだそうです。
あと、シルクロードを走っていて車窓から観たモスク。




トルコでは、あちこちでよくモスクを見かけました。
色々なモスクがあって、車窓から眺めていても楽しいです。
テレビなどでラクダの長い隊列を組み
黙々と歩む光景を思い出します。
童謡にも歌われ、脳裏に焼き付いてい
ます。
写真のように立派な道路を、車で疾走
する光景はイメージ外でした。
神学校、モスクと宗教が日常生活に
密接に関わっているのでしょうね。
色んな建物を見るのは大好きです
シルクロードっていうとロマンがありますね
道路にしか見えなくても。。。
舗装されてなかったらガタガタ道で大変でしょう(笑)
昨日気づいたんですが、コメントの削除の仕方です
ログインした画面にコメントの欄がありますよね
削除したいコメントにチェックを入れるようです
その後に下までスクロールするとチェックしたコメントを削除する(やったかな?)
削除のボタン(というか)がありました
私はまだやってませんが、やってみてください
私も「シルクロード」というと、砂漠のラクダを思い浮かべていました。
色々「シルクロード」について調べてみると、「シルクロード」は何本もあったそうですね。
また、トルコには砂漠が無いというのも初めて知りました。
とまるさん、ありがとうございました。
シルクロードは砂漠のイメージなのに
道路が走ってるのは イメージが
変わりますね!
それにしても 結構 あちこちに
モスクがありますね…
トルコって 親日イメージが先行して
イスラムの国のイメージが あんまり
なかったのですが ちょっと印象が
変わりました…
一見普通の道を走っているので、ツアーガイドさんから「シルクロードを走っています」と言われても、「えぇ?」っていう感じですよねw
前にも書きましたが、トルコ人の99%がイスラム教徒なので、あちこちでモスクを目にします。
しかし、トルコは他のイスラムの国と違って宗教と政治を分離しなければ国家の発展はないとして、政教分離(世俗主義)を国家の基本原理として採用しているそうです。
しかし今中国の新疆ウィグル自治区などをまわると、中国の公安だらけなのだそうです。
なので、シルクロードに行きたいと思ったら、トルコに行くのはいい選択かもしれないですね。
長安まで延々と続くシルクロード。
全長からするとトルコ国内においてはほんのわずかの距離かもしれませんが、古の痕跡が色々と残されています。
また、トルコにはあちこちに遺跡があるので、見所は多いです。
トルコオススメです^^