内堀で囲まれた山麓部には本丸御殿、天守が建ち、指月山山頂部にも「山城御城」と呼ばれる山城を築いた。
(日本100名城ガイドより)
萩城内堀。

左奥、内堀に突き出して築かれているのは天守台。

内堀を渡って本丸へ。
本丸入り口の料金所で、「日本100名城スタンプ」を押しました。
「日本100名城 75萩城」スタンプGET!
60城目。

「自転車乗り入れ可」ということなので、自転車に乗って城内を散策。
自転車に乗って城内を散策したのは初めてです。



<天守台>

美しい扇の勾配をもつ高石垣。



基礎石が並ぶ天守台。
明治7年(1874年)に解体されるまでの270年もの間、ここに5重5階の望楼型天守閣が建っていたのですね。

天守台から本丸入り口付近を望む。

<萩城址碑>
大正8年(1919年)毛利元昭によって建てられ、萩城の来歴を記したもの。

<花江茶亭>
三の丸にあった13代藩主毛利敬親の別邸・花江御殿の茶室「自在庵」を移築したもの。
入母屋造り、茅葺きの建物。

<志都岐山神社>
志都岐山神社への石の鳥居。

明治11年に、本丸跡に毛利家を代表する5名を祀って建てられたそうです。

本丸から二ノ丸へ。
本来なら反対のコースになるのでしょうか?
<塩櫓跡>
二ノ丸で12基あった一つの櫓

<南門櫓跡>

二の丸南門枡形に建つ、毛利輝元の像

萩城は「平山城」だということでしたが、アップダウンが少なく、レンタル自転車でもラクチンで廻ることが出来ました。
湧くだけに、紹介して頂き興味深く拝見させ
て頂きました。
毛利元就という名城主の子供達への、3本の
矢の逸話を思い出します。
関ヶ原の戦いを界にして衰退していった栄枯
盛衰を感ぜざるを得ません。
しかし、この藩から幕末から明治維新にかけ
て偉大な人物を輩出したことも感慨深く感じ
て来ました。
毛利と言えば 三本の矢
元就やその子供たちの頃には
牽制を奮っていたのに 段々と
勢力を落としていったんですよね…
萩城も元々は 立派なお城だったの
でしょうが 今では その片鱗はあちこちから
観て取れますが 寂しい感じですね…
kunitaynさんは、萩城へは行かれなかったのですね。
萩の城下町は見所がいっぱいありますから、どこを中心に見て回るか迷いますよね。
私は、武家屋敷などをもっと詳しく見て回ったら良かったと思っています。
一国一城令や廃城令、太平洋戦争の空襲などで、各地の天守閣がなくなってしまい、現在では現存する天守はわずか12城になってしまっています。本当に寂しい限りです。
萩城内は自転車で見て回れるので、効率的に見ることが出来て良かったです。
らくちんで良かったですね
石垣好きです(笑)
美しいですよね
天守台の石垣に赤や黄色の紅葉と緑が何とも美しいと思いました。
桜の季節のお城が一番好きですが、紅葉の時期もなかなか良いものです^^