三日目の朝食は、夕食と同じ会場で弁当形式。
こちらのホテル、食事は弁当形式でコロナ対策をしているようです。


ホテルをチェックアウトし、レンタカーで松陰神社へ向かいました。

明治40年(1907)に創建された、吉田松陰を祭神とする神社。
明治23年(1890)8月、松下村塾出身者などにより松下村塾の改修が行われ、松陰の実家である杉家により私祠として村塾の西側に土蔵造りの小祠が建立されました。
その後、門人の伊藤博文、野村靖などが中心となり、神社を公のものとして創設しようという運動が起こり、明治40年(1907)に県社の社格をもって創建が許可されました。現在の社殿は昭和30年(1955)に完成したもの。御神体として松陰が終生愛用した赤間硯と父叔兄宛に書いた文書が遺言によって納められています。旧社殿は「松門神社」として、松陰の門人であった人々の霊を祀っています。
<孝行竹>
この竹は、竹の特徴である横走地下茎が発達せずに「親」竹の周りにだけ「子」竹が育つ品種です。
なので、親を守る竹という意味で「孝行竹」と名付けられているそうです。
竹の手前にあるのは、1926(大正15)年5月に時の皇太子、つまり後の昭和天皇が行啓された地であることを記念した石碑です。

<松下村塾>
神社の境内には、幕末当時の松下村塾の塾舎が現存しています。





吉田松陰が同塾で指導した短い時期の塾生の中から、高杉晋作をはじめ、伊藤博文、山縣有朋など幕末より明治期の日本を主導した人材を多く輩出しました。


ここで松陰先生が講義されてたのですねぇ。

2009年(平成21年)1月5日に「九州・山口の近代化産業遺産群」の一つとして世界遺産暫定リストに追加掲載され、2015年に「明治日本の産業革命遺産 製鉄・製鋼、造船、石炭産業」として正式登録されました。
<松陰神社本殿>



<学びの道>
松陰が遺した言葉を記した25基の句碑が参道に並んでいます。


吉田松陰の名言の一つを記しておきます。
「夢なき者に理想なし、理想なき者に計画なし、計画なき者に実行なし、実行なき者に成功なし。故に、夢なき者に成功なし。」
安心しますね。
経験上宿屋形式では、和食のお膳形式が多
いようですね。
松陰神社は、2010年に訪れています。
後に2015年の大河ドラマ「花燃ゆ」で
松陰の妹美和の生涯が放映されました。
松陰を巡る目まぐるしい世相の舞台ともな
ったので、萩の印象を改めて強く感じてい
ます。
弁当形式の朝食、若い人にはチョイと物足らないかもしれませんが、我々にとってはこれで十分です。また、安心ですしね^^
大河ドラマは見ていませんが、萩の街並みの雰囲気は素晴らしいですね。